採録|『ケイコ 目を澄ませて』アフタートーク  vol.2|北小路隆志

2023年2月24日、三宅唱監督『ケイコ 目を澄ませて』のヒットを記念し行われた、出町座でのアフタートークの模様を全4回に分けてお届けしています。今回は、三宅監督の長編デビュー作である『やくたたず』に見出すことのできる、三宅監督のこだわり(三宅映画で鍵となる要素)について、最新作の『ケイコ 目を澄ませて』とも関連させながらお話しします。


◆「サイド・バイ・サイド」へのこだわり

まず『やくたたず』(2010)という映画についてお話ししようと思います。実は、この映画の前にも、たとえば三宅さんが中学生の頃に撮った映画(『1999』(1999))とかもあるようですけど、僕は観ることができていなくて、この映画が、僕にとって三宅さんの最初の映画ということになります。ただ、最初に観た三宅作品というわけではありません。三宅さんの映画に最初からうまく出会えたわけではなかった、と先ほど告白しましたが、映画に詳しい方々、批評家から絶賛に近い評価を受けていたように記憶する『Playback』(2012)という映画が、僕にとっては最初の三宅さんの映画との出会いでした。この映画がすごい映画であることはもちろん認めるけど、正直、大好きだとは言えないというか、やや違和感が残り、時系列的にはその前の作品に当たる『やくたたず』を『Playback』の後に観た時にも、それほどフィットしなかった覚えがあります。『やくたたず』については、その時はあまりいい環境や素材で観ることができていなかったことも影響しているのかもしれません。今回見直してみると『ケイコ 目を澄ませて』に繋がる、三宅さんのいろいろなモチーフが随所に出てくる、すごく重要な映画だな、と再認識できました。

◉映画上映|『やくたたず』(冒頭〜タイトルまで)

『やくたたず』

(学ランを着た3人の若い男性たちが歩いている。最初は縦の列を作っているように見えるが、やがてだいたい横並びになり、3人がほぼ横に並ぶと、誰からいうこともなく走り始める。)

……ということで、オープニングの部分をまず見ていただきました。3人の学ランを着た若い男性が横に並び、ずっと後退移動するカメラの前で、最初は歩いているんだけど途中で走り出す……。まさに「サイド・バイ・サイド」といえるショットが、三宅さんの長編デビュー作と言っていい映画の始まりに置かれています。

『やくたたず』に出てくるのは、高校3年生なのでしょう、学校での教育の過程が終わりつつある3人の男の子たちで、彼らは大学に行きたいとかではなく、役に立ちたいというか、仕事をしたい。見た目でいうと、そんなに優等生じゃなさそうですが、バイトとかじゃなくて、これから社会を生きていく上で必要なお金を稼いでいこうとしている。このまだ状況がはっきりとわからないような3人の関係性がどうなっていくのか、ということがこの映画の大きな見どころであるし、お見せした冒頭では、3人が並列した状態で同じ1つの画面に収まっているその様子を、三宅さんは撮りたいと考えている。だから、この場合、誰が先頭を切っているか、誰が中心なのか、とかはほぼ関係ないと思います。

◆「3」の問題

この3人はいつも一緒にいるわけではないんです。この後、電車のシーンになりますけど、そこで1人は残って2人が去っていくというように最初からなっていきますし、決して並列しているから一心同体である、みたいな、そういう安定した関係の「3」ではないと思います。この「3」は、「1」として孤立するケースもあるだろうし、「2」と「1」に別れるとか、バラバラになることを繰り返しながら、映画のラスト近くで同じように3人が並ぶ。今回見直して感心したのは、平凡な監督だったらそこで映画を終わらせるだろうとも思える3人の並列がもう1回出てくるんですね。「これで終わっていいんじゃない?」と思うんだけど、三宅さんは終わらせない。普通に褒められるような映画を作る気は最初からないんだな、というか、その後の三宅さんの快進撃を予測させるような面白さや野心の強さが、そうしたことからも窺えるように思います。

◆「書く」ことと「契約」

3人はいわば真剣に「仕事」に就こうとしている、と話しましたが、そこに絡むものとして、あるいは、『ケイコ 目を澄ませて』に繋がるモチーフとして、「書くこと」という主題を『やくたたず』にも見出すことができます。

『ケイコ 目を澄ませて』の場合は、聴覚に障がいがある、耳が聞こえない人が主人公であるということで、さまざまなかたちで字が書かれることになる。ジムでトレーニング受けているときから、次は何をやるんだ、というようなやり取りも全部筆談でやるわけだし、映画そのものが、岸井ゆきのさんが演じるケイコがノートを書いている姿から始まります。だから『ケイコ 目を澄ませて』において「書くこと」が重視されるのは、いわば自然な流れとも言えるでしょう。

しかし、それと比べると目立たないとはいえ、他の三宅さんの作品を観ていても、「書くこと」という主題が常に出てくるように思える。『やくたたず』だと、先ほどの3人のなかで最後まで迷っていた1人が、ようやく他の2人と同じ職場で働く決意を固め、履歴書を書く場面が注意をひきます。ただ履歴書を書く、というありふれた行為なのですが、文面というか、紙がきちんとアップで映されていて、どこか緊張感が走る。この後も、会社の制服を着るとか、戦争映画的なことをやりたかったのかな、とも思うのですが髪の毛を丸坊主にするとか、いろいろな通過儀礼を経て、それまで学校教育を受けてきた子供が何か別の世界に入るというイニシエーション的なものとしての「契約」、と僕は言いたいんですけど、「契約」関係を結ぼうとしているのだと思います。

これは『ケイコ 目を澄ませて』で言えば、ジムを「辞める/辞めない」という問題、周りの皆さんが親切に、環境としてはよりいいジムに移籍させてでも、ケイコがボクシングを続けられるような状況を整える、といったエピソードがありましたけど、彼女は「うん」と言わない。彼女は、あのジムや三浦友和さんが演じている会長に対して「契約」関係みたいなものを結んでいる。ですから、事情が変わったから、すぐ別のジムに移りますってわけにはいかない。その人間の今後を規定する縛りというか「契約」というのが、三宅さんの映画にいつも出てくるように思えます。

学生のバイトだったら都合で簡単に辞めちゃってもいいのかもしれないけど、そうはいかないというか。『やくたたず』での履歴書を「書く」という行為は、そういう「契約」のようなかたちで署名していく、というふうに見えるんですね。そして、『やくたたず』の3人組が契約を交わし、加わることになった会社も、『ケイコ 目を澄ませて』のジムと同様、車を盗まれるとかの事件が起こりまして、今後、もうやっていけないよね、という状況に陥ることになります。

◆「フレーム」への意識

もう1つ、『やくたたず』を観ていてすごく気になるのが、「フレーム」という問題です。これは実際にご覧いただいたほうがいいでしょう。彼ら3人が契約を交わした会社は警備会社か何かだと思うんですが、その会社の倉庫なのか、作業場なのかがありまして、その場所の内側と外側の敷居であるシャッターがすごく面白いんですね。

◉映画上映|『やくたたず』(中盤)
(夜。会社の敷地内。敷居(シャッター)の外では3人がいて、車の免許を持っていない1人に仲間が運転を教えている。一方で、敷居のなかでは、酒を飲みながら談笑するやや年長の2人の男性がいる。半ば戯れながら運転を教えている様子が、時折はしゃぐ声として敷居の内側にも聞こえてきている。内側にいた男性の1人が半開きのシャッターを少し上げて、外で戯れる若者たちに加わり、シャッターの内側に残る男性が、雪で遊ぶ子供じみた彼らを眺めている。)

こうして敷居の外では、車の免許を持っていない仲間に半ば戯れながら運転を教えている。この映画の3人の主要登場人物たちは高校を卒業して教育から離れようとしている、とさっき言いましたが、一方で学校からは離れた場所ではあるが、「教える」という主題が『ケイコ 目を澄ませて』と同様、ここで展開されると言ってもいい。ほぼ使われませんが、作業場の内側にはジムのようにトレーニング用の道具もあったりするわけです。

だけど、ここで注目すべきは、内側と外側の敷居である半開きのシャッターです。『ケイコ 目を澄ませて』でも冒頭付近でちょっと雪がちらついていたりしましたけど、『やくたたず』は、北海道の出身である三宅さんが札幌近辺で撮っているのだと思いますが、白い雪の世界が舞台なんですね。寒いからシャッターを全部開ける気になれない、という現実的な理由づけもできるのかもしれませんが、だからと言って閉じられるわけでもなく、開いているけど開ききってもいない状態、ということがすごく気になりながら、この映画を見ていたように思います。

その後、ようやく、ある男性がバンと内側からシャッターを開けます。全部開けるわけではなかったはずですが、ほぼ開けて、画面の手前、内側にいる彼が座って外を見ている。このシーンでは、昔の侯孝賢の映画——たとえば『風櫃の少年』(1983)辺り——を思い出したりもするんですけど、映画を観るかのように、内側からフレーム越しに外側の光景を眺める人物が描かれる。内側に腰を下ろして、外で子供じみた遊びをしている連中を見ているというかたちで意識的にシャッターが活用されている。映画なので当然のことですが、三宅さんのフレームというものへの意識——それは建物の内側と外側の関係性をめぐる意識でもあるでしょうが——が、すごく興味深い。

◆「終わり」の儀式①——記念写真の撮影

さらにもう1つ、それに関連して見てもらいたいのですが、この場面の後で、さっきも示唆したように、この会社、組織がもう立ち行かなくなり、映画の冒頭で並んでいた3人を雇っている余裕もなくなっちゃいます。つまり、ある「契約」の終わりが描かれることになるのですが、そこでもシャッターが活用され、『ケイコ 目を澄ませて』でも描かれた、ある儀式が出てくることになります。

◉映画上映|『やくたたず』(終盤)
(夜。半開きのシャッターの内側でささやかな宴が催されている。記念写真を撮ることになり、一同、シャッターの前に横並びになるが、写真はうまく撮れない。若者たちが給料を受け取り、宴が終わる。)

ここでも、やっぱりシャッターは半開きの状態で、記念撮影が行われます。

『ケイコ 目を澄ませて』では、ジムを畳むことになり、最後に記念写真を撮る場面がありましたが、『やくたたず』での設定もほぼ同じかたちでしょう。このある集合体、経営体である組織がはっきり終わるとはされていませんが、たぶん終わりを迎えそうだ、少なくとも3人は解雇されるということで記念写真を撮るんですね。この記念写真の際には、さっきとは逆というか、カメラがシャッターの外側にあって、内側で行われているちょっとしたパーティーの様子が映ることになる。そして当然、記念写真を写すとき、写される僕らは並列になります。「サイド・バイ・サイド」でそれぞれが並んで、何らかのポーズを取ったりする。『ケイコ 目を澄ませて』の場合は、何度かやり直したあげく、無事、撮影に成功した集合写真がケイコのスマホに届くことで最後の場面に移行するわけですが、『やくたたず』では写真は撮れずに終わったようです。ただ、フレームのなかのフレーム、映画というフレームのなかにもう1つのフレームがある。それが半開きのシャッターであり写真でもある。記念写真とは、人が「サイド・バイ・サイド」で並ぶことを促される営みであり、だからこそ、三宅唱の映画に相応しい儀式なのかもしれない。三宅さんの映画だともう1本、『Playback』でも印象的なかたちで記念写真のエピソードが出てきますが、ここで触れる余裕はありません。

◆終わりの儀式②——「手渡す」こと

この場面では、さらにもう1つ、指摘しておきたい描写があります。それは「手渡す」ということです。

さっきも言ったように、ある「契約」が結ばれ、3人はこの組織に入る。しかし経営が立ち行かなくなる。記念写真もその終わりを表すものですけど、何かを「手渡す」ということもまた、三宅唱の映画における終わりの儀式なんですね。『やくたたず』では、この宴の終わりにおそらく最後になる給料が手渡され、ついに契約が切れる。何かあったらまた連絡ください、というような言葉をまだ人生経験の浅い若者がほとんど苦し紛れにというか、取り繕うように発するわけですが、たぶんもう何もないだろう、って感じが映画を観ている僕らにも伝わる。三宅さんの映画の登場人物たちにとって、関係性とは「契約」とでも呼ぶべきものであり、それはみだりに交わしたり、破棄したりすることができない厳粛なものである。「契約」が終わるときにその関係性も終わるわけです。こうした何かを「手渡す/受け取る」という仕草の重要性、その主題も、『ケイコ 目を澄ませて』のなかでやや変則的に、しかしとても重要なかたちで出てくるわけですが、それはまた後でお話しします。


関連作品:『やくたたず』

『やくたたず』

高校卒業を控えたテツオたち3人は、先輩が勤める地元の防犯警備会社でバイトを始めるが……。一面雪に覆われた北海道を舞台に、ボンクラ高校生の日常と仕事、そして彼らが巻き込まれる思わぬ事件を、ザラついたモノクロームで捉えた青春群像。村上淳、加瀬亮などの俳優に絶賛された、三宅唱の初長編作。


2010年/モノクロ/76分

監督・脚本・撮影・編集:三宅唱 
助監督:古田晃 美術:久保田誠 録音:高柳翼
出演:柴田貴哉、玉井英棋、山段智昭、片方一予、櫛野剛一、足立智充、南利雄

上映情報:「三宅唱監督特集2023」(出町座)【Aプログラム】にて上映。

・4/28(金)17:30-【A】(19:16終)
・4/30(日)17:30-【A】(19:16終)
・5/2(火)13:20-【A】(15:06終)
・5/4(木・祝)17:30-【A】(19:16終)


三宅唱監督特集2023(出町座)

『ケイコ 目を澄ませて』ロングラン御礼企画(2023/04/28-2023/05/25)

三宅唱監督の『ケイコ 目を澄ませて』は2022年度の各映画賞で非常に高い評価を得、多くの観客からの絶大な支持も受けました。出町座では昨年12月の封切りよりロングラン上映中ですが、ご来場のお客さまがいまだ途絶えることがありません。そんな稀有な作品を世に放った三宅唱監督のこれまでの作品を独自の形で上映します。劇場用長編映画として撮られた作品はもちろん、インディペンデント作品、アートプロジェクト企画や地域との連携、ミュージックビデオなどのアーティストとのコラボレーションなど、非常に多角的なフォーマットに柔軟に対応しながら、ひとつひとつが明確なアプローチを持ち、原初的かつ新鮮な映画的魅力に満ちた三宅監督の多様な作品群を、ぜひこの機会にご体験ください。

◉上映プログラム◉

【Aプログラム】『1999』『4』『マイムレッスン』『やくたたず』

【Bプログラム】『スパイの舌』『NAGAHAMA』『密使と番人』

【Cプログラム】『Playback』

【Dプログラム】『きみの鳥はうたえる』

【Eプログラム】『THE COCKPIT』「Goin Back To Zama City」

【Fプログラム】『無言日記2014』『土手』

【Gプログラム】『ワイルドツアー』

【Hプログラム】『無言日記2015』『ROAD MOVIE』

◉トークイベント情報◉

5月3日(水・祝)【Bプログラム】上映後
登壇:三宅唱監督
聞き手:北小路隆志(映画批評家/本学映画学科教授)